18/26年間お疲れさま <横浜線205系電車>

『18/26』 というこの妙なタイトル。この電車が26年走り続けて来たという時間の中で、僕自身が地元民として関わったのが18年…という意味合いなんですが、自分でこう書いてて『ながっ!』と改めて驚いてます…(^^;;

もうそんなに歳を…いや…時間が経ったのかと…。

横浜線に205系がデビューした時は常磐線沿線に住んでいた時期でした。個人的な印象ですが当時の常磐線には特急も通勤電車も使い古された車両をあちこちからかき集めてつないで走らせてるイメージが強くて、山手線で投入が進んでいた205系をみて『あれかっこいいな…そろそろ新車が来ないかな…』なんていつも思ってたところ、山手線の次は横浜線と聞いてショックを受けまくってたのを覚えてます…(^^;;

山手線103系にでっかく『横浜線』の看板掲げた路線に先越された…って(^^;;(^^;;

(常磐線103系の活躍はそれから更に10年以上続きましたが…)今思えば横浜線205系とはその頃からの因縁があったのかも知れませんね…(^^;;

そんな横浜線205系も気づけば26年走り続け、その途上で僕自身にとっても地元路線となり通勤では随分お世話になりました。振り返ればあの頃はいろんな事があったな…。良くも悪くもいろんな思い出の詰まった電車だったのかも知れませんね。

ところで今回ご紹介する写真は8月に入って205系H1編成にラストランヘッドマークが掲げられてから引退する日までに撮影したものです。

今回、撮影時期や場所等の詳細は基本的に省略させてもらいます。

 

JR東日本205系 横浜線電車(H1編成ラストランヘッドマーク掲出)205hm_78_派手に雑草が紛れ込んでしまいましたがどうか見逃してください…(^^;;   これから横浜線の顔となるE233系との離合シーンと言う事で捨て難いものがありまして…(^^;;205hm_82_205hm_83_夜練と称し何度も何度もこの姿を流し撮りで仕留めようとチャレンジし続けましたが、結果はほぼ全滅でした(^^;;   その中でもギリギリ何とか観れる2枚のご紹介です。205hm_84_205hm_85_小机・新横浜エリアは僕が最初に横浜線と出会った頃の生活圏で縁の地と言えます。205hm_86_中山ではこのような感じで撮るのが定番のようですが、個人的にはやっぱり流し撮りでビシッと決めたかったですね…(^^;;   繰り返し挑むも結局目標を達成出来ず…。205hm_101_205hm_102_205hm_103_2014年8月23日…いよいよ26年間の活躍に終止符を打つ時が来ました。僕自身は地元長津田エリアでのお見送りと決めました。沿線や駅には最後の姿を見届けようと多くのファンが集まり、ラストランに乗車して楽しむ人達も大勢いたそうです。

個人的には新幹線や特急列車のような花形列車の引退ではなく、普段の生活手段の一つとして利用するどこでも同じものが見れそうな普通の電車のラストランでしたから、鉄道ファン以外の方々には興味のないイベントだろうと思ってました。

ところがいざ現地へ赴いてみるとラストラン列車が通過する時間が近づくにつれ、鉄道ファンのみならず沿線に住むご近所さん達の姿も多く見受けられるようになって来ました。中にはコンパクトカメラで跨線橋の網の間から頑張って写真を撮るおばちゃんの姿も…^_^

興味がないと言うよりは普段の生活の一部として馴染んでいるからこそ最後には『お疲れさま』『今までありがとう』って感じる部分もあるのかも知れませんね。

ラストランの車内放送も感動的なものだったという話も聞いており『乗っときゃ良かったかな…』と思いつつも、全体的に良い締めくくりとなってくれた事に嬉しい思いもあります。

一見どこでも走っているような地味で四角い電車…思ったよりもずっと多くの人達の思い出が詰まっているものなのかもね…。

今度は海を渡りインドネシアで現地の人々の新しい思い出を一杯詰め込んで走ってくれることを願います。

 

※ちなみにラストランは『快速大船行き』だったんですが、『お別れは流しで…』などとカッコつけて派手にしくじるという最高にカッコ悪い事態となってしまいブログでの写真公開はボツとなりました…(^^;;

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。